112日空きました、という話。

飽きたわけじゃないんですよ。

 あ、これ書きたいな~って思うことは毎日山のようにあるんですけどね。

なかなか筆?が進みません…っていうのも、あれこれ考えて頭の中である程度形にするんですけど、そこで満足しちゃうんですよ。アウトプットするまで至らないんです。

 

そんなわけで、まいにち色々なことを考えています。

そしてありがたいことに、色々な人がいろいろな相談をしてくれます。

これ、本当にありがたいな~っと思うんです。

 

相談されたとき、話を聞いて話をして…いろいろな思いが交錯します。

そして、いままでの自分の歩みを振り返り、その中から出てくる話も。

 

思えば、歩いてきた道にはいろいろな失敗や恥を落としてきました。

前を向いて歩いている分には見えなくても、振り返ればそれは大きな山のように、静かにこちらを睨んでいます。

それらに向き合うこと、昔はとても怖くて、なるべく振り向かないようにしていました。

でも、何か話をするとき、自分に向き合わないと話ができません。イヤでも山のようなそれらの方に振り向くんです。本当に苦しい行為でした。

それでも、何か助けになれればうれしいですし、自分の手が届く範囲であれば役に立ちたい!の一心で立ち向かってました。

繰り返しているうちに、そういう経験が今の自分を作っているんだな~と思えるようになってきましたし、年齢を重ねたいまになって自分の過去を振り返ることで、自分自身で色々なことに気付けるようになってくるもんなんですよね。不思議なもので、今では苦しいとは思わなくなりました。

 

それと一緒に「年齢を重ねる」ことに対しての恐怖も薄れていくことに気付きました。これは最近思ったことですね。

体力が落ちるだとか、世間からの見られ方とか、大局的に見れば死に近づいていることとか、怖くない…とは言えないですけど。

それでも、今までの自分の経験がまた違った視点から見られることに対する期待であったり、年齢を重ねることで出会う新しい出来事にワクワクしてみたり…楽しみなこともいっぱいあります。

そう思えるようになったことや、誰かの役に少しでも立てる(と勝手に思っている)ことがあるだけで、年を取ることも悪くないと思えるかなあ。

 

そう考えられるようになったのは、紛れもなく身の周りの人たちのおかげなんですよね。

あんまり言うと胡散臭いけど、仲良くしてくれたり相談してくれる人には感謝してもしきれないなあ、っていっつも思います。本当ですよ?

袖振り合うも他生の縁、と言いますしね。私はいろいろな刺激をいただいていますから、少しでも仲のいいみんなにお返し出来たらな…と思っています。

そして、いつまでも色々なことにワクワクしながら生きていきたいですね。最近は忙しかったりストレスにやられて忘れかけてますけど。

 

そうやってぶつかって転がって、傷だらけで歩けるほうがきっと幸せなのかもしれませんね。

幸せを探すひとが幸せだと思いますし、消しゴムの跡だらけの白のほうがかっこいいじゃないですか。

 


京都大作戦2011 風

 

いまのままでもめっちゃカッコいいよ、大丈夫。

泣いたり笑ったり、泥臭く最高にカッコよく生きようぜ!!